蔵の会くらのかい

昭和33年、前々町長が欧米の社会視察に行き、美しい街並みに深く感銘を受けたことが発端となり、その後、半世紀に渡り「美しい景観づくり」の政策が実施。 昭和61年3月に「街並み景観条例」制定され、より具体的な取り組みがされてきました。 そんな中で迎えた、平成11年の山形新幹線新庄延伸と、長年続けてきた美しい景観づくりが注目され、金山町を訪れる観光客も次第に増えていきました。 “わざわざ金山町に足を運んでくださる方に、どんなおもてなしが出来るのだろう”そう考えた時、蔵史館でのお抹茶による接待をする団体、「蔵の会」を結成。 この地域と歩み、支えてきた女性たちのその活動についてお話しをお伺いしました。

―「蔵の会」のはじまりは、どんな事からですか?

最初に会を立ち上げた時に、金山町を訪れる人が多くなってきた頃なんです。「蔵の会」の活動は、平成11年から始まったので、その年に山形新幹線が新庄延伸したときでした。たぶん他所からのお客様も増えるんじゃないかと。それで、何か金山に来てくださる方に、お接待することはできないだろうかということになり、金山町の女性団体、商工会女性部、連合婦人会、茶道愛好会、黎真会……。そういう人たち皆んなで、お抹茶で接待しようということで、年間を通して当番制で始めましたことから今も続いています。

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ところが当時、活動資金が何も無かったんです。でも、いきなり役場に頼るというやり方はちょっとということで、自分たちで頑張ろうと各団体で2千円ずつ出し合って、お茶とお菓子を買って始めたんですが、その次の年に役場の方が活動を見ていて下さいまして、じゃあ行政の方でも応援しようということで、現在は助成をしていただいて活動をしています。 活動資金として助成金を頂いているんですが、お茶代が一番多いもんですから、あとのお菓子なんかは、お抹茶を飲んで頂いた時の料金で賄っているんです。お道具も始めたときは何も無かったので、各自の家にあるお盆セットなんかも持ち寄って「これなら使えるね」とか「これは家にもある」と、みんなに協力してもらって、今、使える分まで集まったんです。

―お客さまをお迎えする時に、心がけていることはどんな事ですか?

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とにかくお客様と会話を持たなければと思っていて、金山町の情報を勉強していますね。 金山町に来てくださるというのは、昔では本当に考えられなかったことなんです。ところが街並み景観条例が出来て、全国的にも注目されるようになったことで、わざわざ来てくださるという方が増えたんですね。だから他所から来てくださった方に、どういう形でおもてなしをしたらいいのかなと常に考えています。 気持ちとしては、本当にただただ「わざわざ金山さ来てけって、ありがどさま」としか言いようがないんですが、わざわざ来て下さったので何か金山にあるものを買って貰えれば、町も活性化するのではないかなと想いもありました。みんなもそういう気持ちが、徐々に膨らんできたのではないかなと思いますけども。 あとは、せっかくいらしてくれたんだから、美味しいお抹茶を飲んでもらいたいなと思ってやっています。金山においでの方が自分の土地に帰って「金山って、こういう人方が居たっけなぁ」っていう想いを残してもらいたい。「今後いらっしゃる時に、お友達を連れてらして下さい。 次は違う季節の金山を楽しんで頂きたいので、ぜひ来て欲しい。」という一言を忘れずに伝えたいという気持ちを持ってやっています。

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先ほどいらしたお客さんも一昨年に金山に来たことがあって、それで良かったから今回の行き先に金山町を勧めてくださったそうなんです。いわゆるクチコミでこの町においでいただく方が増えたらいいかなぁ。そういう風にして、来ていただいた方に女性たちでおもてなしが出来ないだろうかなと考えたときに、町で他の商売の邪魔にならないものをと考えたときに、お抹茶ならばとどうだろうということから始まりました。 当時、通年開館をしていた蔵史館でお抹茶の提供ということになりましたが、それでお抹茶にはお菓子が当然付くわけで、蔵史館の隣がお菓子屋さんですし、お抹茶も町のお茶屋さんから仕入れるということで、いくらでも町にお金が落ちればいいなという感じで始めました。 それで、はや14年になりますけども、来てくださる方が金山に足を向けて来て下さって、自分の大事な時間を金山町で費やしてくれている訳ですので、それで帰られるときに「金山に来て良かったな」という気持ち、そういう気持ちを持って帰ってもらえたらなと思います。

―では、そういう嬉しい声が活動の励みになっているんですね。

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私たちは、お抹茶を提供するだけかなと思って始めたんですが、来てくださった方ともすごい出会いがあるんですよ。 例えば華道栖草流の方がここで当番しときに、東京で同じ流派でお花をされている方と出会いお話をして、「とても勉強になったぁ、楽しかった」とメンバーが言っているんです。それから、山形市から来たお客さんから「私たちコーラスをやっているんです」と言っていただいて、私もコーラスをしているので、ここで一緒に歌ったりして(笑)そういう事もありましたので、私たちがおもてなしをするだけでなく、来られた方から色んなお話しを聞いたり、エネルギーをもらったり。今すごく、やんばいに続いている状況です。

――金山町の事を伝える側に立ち、難しいと感じたことはありますか?

 

メンバーの一人の声なんですが、当番制でやっているので「町のこういうことを聞かれたけども、分がんねがったや……」ということはあるんです、たまに。「あとで、勉強してから……」という答え方をしたこともあったみたいなんですが、やっぱり町の具体的なこと、数字的なことなんかは、聞かれても分からないことも正直ありますし、皆んながみんな分かる訳ではないですから。

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でもそれから、メンバーの一人に役場の方がいて、そういう声に少しでも答えられるようにと町の要点をまとめた冊子を蔵史館に置いてくれるようになったんです。その冊子をお客さんがいない時に、みんなで読み合いっこして勉強をしたりしていますね。 「私って、金山のこと何にも分かって無かったんだな。 こりゃ困ったな。」という思いをした時、町の職員の方が街の中を歩いている姿を思い出して、そこで少し勉強をしようと思って”街並み案内人”としての活動も始めたキッカケになりました。

―活動を始めてみて、地元に対しての気持ちや考えに変化はありましたか?

私たち自身はこうしようとか、あまり構えてないというか……。そんなに力を入れないで活動をしているんです、でないと続かないんですよ。始めた以上は続けることが大事だと思うんです。

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だから、あんまり頑張って、ああだこうだとなると……もういいやってなりますよね。1回や2回はボランティアでやれるんですが、それ以上はもう十分だなってなるんです。だから地味であっても、やっぱり続けることは大事だなと思うんです。 今こうしようという強い気持ちよりは「楽しいね!! 次の当番はここだな。 次はどんな人が来てけっぺなぁ」って、そして、自分の家にある漬物なんかをお茶請けに持ってきて、お客さんにもごっつおしたりして(笑)そういう風に楽しみながら、やっています。

――そういう事が、活動を続けてこられた秘訣なのでしょうか?

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それもありますが、冬休みがあることも大事なことですね。やはり息切れしても続かないのでね。11月から4月の連休までは充電期間でお休みして、その間に研修したりとかお勉強会もあったり。 あとは、こども園の年長さんに、お抹茶の体験の機会も作っています。大堰公園で真っ赤な毛氈に座ってもらってね。 それから、観光課主催で町並みの研修に山形市の紅の蔵に行って、蔵をどんな風に利用しているか、おもてなしをどんな風にしているかとか、ついでにお雛様を見せてもらったりして、そういう風に楽しみながらする研修も1年に1回させてもらっています。 行政からバックアップしてもらえることは、とても心強いですね。私たちが、こうして欲しいとはあまり言わなくてもバックアップをしてくれて、例えば、こういう風にして研修に行くんだけどもと言うと、交通費においてはバスを手配するから、食事代と拝観料なんかは自己負担でしましょうとか。そういうバックアップもあるから頑張れるんです。

―金山町で生活をし、ボランティア活動をする中で、これからの金山町への期待、願いなど、どんな想いがありますか?

立ち上げたときから、十何年経って年齢も上がってきましたでしょ。足腰もだんだん……。それを見るとこの活動を繋げていくには、もう10年若い世代の人たちをどうやって私たちの会へ来ていただくか、少しずつ少しずつだけどもしておかないといけないなと思っています。

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それでも、今のメンバー内でも年齢の差がいくらかあっても、同時に活動が出来ている訳ですから、出来る限り私たちも活動をしていきたいし、それで若い人が入ってくれれば嬉しいなという気持ちでいます。もちろん声がけもしていますよ「ぜひ、一緒にしてね~~」なんて。それに、突然チラシを撒いたところで増えるもんでないので、これは。 やっぱり、中から湧き出るというか「私もしてみってや~~」と思ってくれる人だといいんだけども、無理にというわけにはいかないのがボランティアの難しいところですよね。 今こうしてお話をしていて思うにね、今日の半日、いわゆる束縛という状況にあり、でも家庭に帰れば主婦であったりお母さんだったりしますよね。そうした時に「今日いがったやぁ~~。 楽しかった!!」って言えるように自分たちも帰らなければダメだと思うんです。「もう、次から嫌んだわや」って言うようだと、家族からは「次から、行がねばいいべ」って。次に来てくださいって声が掛かる頃には、自分はすっかりそのことを忘れていても、家族は覚えていて「前、嫌だって言ってたべや?」って始まって(笑)。ここにお手伝いに来るからには楽しく来て、楽しく帰って、そして「面白かったのよ~~」って言えるような、そういう風な事じゃないといけないなと思っています。やっぱり、無理にではなくて「自分もお手伝いすっかなぁ」っていう人を探しておかないといけないなと。

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私もこの年になってから、この会に入って生きがいになっていますよ。本当にお抹茶なんて分からなかったし、みんなに教えてもらって、何とか泡が綺麗に立つようになりましたけども。だけども、ここに来ることが本当に楽しいの、知らない人たちとお話しが出来ることが本当に楽しい、これが若さの秘訣というか(笑)。 それから、少し話がかけ離れているかもしれないけれども、今、行政の方で教育委員会の取り組みの中に”キッズタイム”というのがあるんです。子供たちがお抹茶とお煎茶を公民館でお稽古をしているんです。何年か前に週休2日制になった時に金山では始めたんですが、最初、サタデースクールということで、お抹茶とお煎茶の時間をとってお稽古を始めたんです。その最初の子供たちが、もう社会人になっているんですよ。

だから私たちの活動を繋げていくには、そういう一度でも体験したことのある子たちが、「蔵史館でこんな事したっけなぁ」と思い出してもらって「私も手伝ってみっかな」と、そんな風に思ってもらえれば嬉しいですね。やっぱり次の世代に繋げていかなければ、ここでプツっと切れてはちょっと淋しいですよね。

先程もお話しに出たんですが、こども園の年長さんに大堰公園でお抹茶のお接待をすることも毎年していこうというお話しもあります。それから「さわやかサロン」というのもあるんですが、昔、若かった人たち、いわゆる今の元気なお年寄りの皆さんが、1週間に1度集まっているんですが、その方たちと子供たちと同時にお接待が出来たら、違う世代同士で刺激し合い、活力にもなると思うんです。そして、こういう活動をしている「蔵の会」というのがあるんだと知ってもらうことが出来ますよね。

お抹茶は普通のお煎茶と違って、どうしても堅いイメージがあるんですが、活動を通じて普段にもお抹茶が飲めるような金山の町にしていきたいという風にも思っています。お抹茶というのは礼儀作法もありますが、意識しなくても生活の中の一部として自然に身について欲しいというような想いが、私たちの密かな願いでもあるんです。

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キラキラと輝く笑顔でお抹茶を提供するメンバーの皆さん。
“金山町にわざわざ足を向けてくださるから、おもてなしをしたい”
この地域に元々あった考え方なのかもしれません。
しかし、その想いはお作法だけでは伝わらない
“かけがえのないもの”なのだと思うのです。